安倍元首相が銃撃され死亡した件について

HOMEに戻る

つれづれに戻る

私は、安倍晋三は大嫌いだ。でも彼が死んでも、第2第3の彼が出てくるだけだ。なので、このような形の死はとても残念だ。彼は逮捕され検察でいろいろ調べられ裁判にかけられるべきだったと思っている。

選挙の演説中にこのようなことが起こったのは、本当に残念だ。

この事件は、民主主義の危機、とよく言われる。そう思う。ただ、一部に見られる文脈とはちょっと違う。

選挙演説が安心安全でない状況というのが危機である。議論できる土壌が育っていないというのが危機である。

選挙演説に対し、適切な批判やヤジは当然であると思う。また、権力者に対しての批判は当然のことで、必要な批判はされなければいけないと思う。そのような批判が今回の事件の遠因になったとかいう一部にみられる論は全く外れていると思う。権力者である安倍氏への批判が今回の事件の遠因だから、そのような批判をした人たち反省せよというような一部にみられる論は、全くおかしいと思う。

民主主義は議論が大切である。真剣に議論すれは時に熱くなることもあるだろう。当然である。

論理的で、批判的な、冷静な、丁寧な議論が必要である。

ただ、安倍氏は、そのような議論をしないことが度々あった。国会でもたくさんの嘘をついた。議論以前の問題である。論理的でない感情的なヤジをたくさんした。一方、自分に対するヤジには、色を成して怒ったりもした。質問されたことに答えず、相手を貶め傷つけ、相手の質問をかわすこともあった。

そういう点で彼は民主主義を発展させる方向ではなく、破壊する方向へ動いた。権力を持った状態で。そして世の中は少しずつ、残念ながら、そのような「安倍的」なものが広がっていったような気がする。悪いことをしても、嘘をつく。ごまかす。改竄させる。権力を使って、捜査させない。責任は私にあると言いながら、責任を取るとは言わない。悪事がばれても、その地位に居座る。法解釈を自分の都合の良いように変える。そのために人事権を使う。

安倍氏は民主主義を破壊する方向に動いていた。民主主義の土壌である、安心安全な、論理的な議論の場を足蹴にした。議論などせず、相手の話を聞かないとか、権力で押さえつけるとか、安倍氏がたくさんしたことである。

今回の犯人が議論などせず、相手を殺そうと思ったことは、そのような点では、安倍氏の議論もせず相手を押さえつけようとする姿勢と共通する部分があると思う。そういう点では、安倍氏の広げた「安倍的」なもののより具体的な形が、今回の犯人のしたこととみることもできると思う。そのような点では、安倍氏への批判が今回の事件の遠因ではなく、安倍氏の広げた「安倍的」なものが、本当に遠いけれども遠因であったともいえると思う。

ただ、たとえそんな安倍氏でも、選挙演説中にこのような形で殺されてしまうのは、安心安全な議論の場に不安を覚えるという点で、民主主義の危機であると思う。このような暴力は絶対に許されない。

内田樹氏の以下の文に全面的に賛成である。

 いかなる政治的立場にある人間に対しても、その活動を妨害するために暴力を用いることは絶対に許されない。「絶対に許されない暴力」の犠牲になった安倍氏に対しては、立場を越えてすべての国民がその無事を祈っていると思う。私はほとんどすべての政治的イシューについて氏の掲げる政策に反対してきたけれども、今はただ彼の健康の回復と政界復帰を願っている。

 どれほど妥協の余地のない政治的対立であっても、その理非を決するのは「自由な言論」の審級であるべきで、それ以外の手段を私は受け容れない。そのことをもう一度繰り返しておきたい。

 けれども、この数年、日本社会で政治を語る言葉は年を追って「自由な」というよりは「節度を失った」ものになってきていた。そのことはみんな感じていたと思う。

 それでも、「暴力的な言葉」はただの「言葉」に過ぎない、言葉が人を深く傷つけることはない。そう信じていた人も多いと思う。でも、それは違う。

 罵倒や嘘やプロパガンダが言論の場を領するようになると、「聞き届けられるべき言葉」と「消え去るべき言葉」を判定する力が言論の場にはあるという確信を人々は失い始める。自由な言論の場の審判力に対する信頼が失われた時に、物理的暴力の持つ現実変成力への期待が膨張する。言論への信認が失われる時に、物理的な力だけが決定力を持つという忌むべき思想が人々の心に入り込む。このふたつはゼロサムの関係にある。

 政治的暴力を抑止するために必要なのは、警察や軍隊の強化ではない。十分な信頼に足るだけ、論理的で、感情豊かで、かつ節度ある自由な言論をもう一度作り直すことだ。その作業なら今すぐここから始めることができる。

また、前川喜平氏の以下の文にも全面的に賛成である。

暴力の増長は言論の衰退によっておこる。何も説明しない政治家、空疎な国会審議、権力への批判を忘れたマスメディア。言葉では何も解決しないという思いが人を暴力に走らせる。

言論の衰退と暴力の増長の悪循環を止めるには言論を立て直すしかない。だから今言論が委縮してはいけないのだ。

(小沢一郎氏が、「自民党の長期政権が招いた事件と言わざるを得ない」。報道陣にこの発言の真意について問われた小沢氏は「社会が安定して良い政治が行われていれば、こんな過激な事件は起きない。自民党がおごり高ぶり、勝手なことをやった結果だ」と説明したという。これはここまで述べたような意味であると思う。それに対し、立憲の泉代表が注意したとのことであるが、その注意はおかしいと思う。)


HOMEに戻る

つれづれに戻る


自作ギターなど手作り大好きキホーテの部屋

自作ギター、手作りウクレレ、電子回路、ミキサー、Arduinoを使った時計、木工などいろいろ、作ったり、直したり。道具の使い方も。ギター作りなど、手作り大好きキホーテの発想と失敗と反省と教訓と喜びなどの記録。