20221029
香港結婚式から22年を経て
ずっと昔の自分で書いた手記を読みながら、考えたことをいくつか書き留めておきたい。
◎ 交流の継続は大変貴重ですごいこと
Pちゃんは淑徳日本語学校の学生だった。そして淑徳日本後学校は来年の春には閉校する。思い返してみれば、この淑徳日本後学校との交流は本当に長い間続いてきた交流だ。1泊ホームステイとか新入生歓迎会とか。
以前、護国寺のそばに住んでいたとき、近所のお茶の水大学との交流を開発したことがある。メインはBちゃんで僕は付録でBちゃんについて行った。それまでの交流の写真や資料をもって、留学生担当のWさんに会って、色々話し、ぜひお茶の水大学との留学生との1泊ホームステイをおこないたいということを話した。何度も色々話し、ホームステイ募集のポスターを張ってもらえ、そして、1泊ホームステイも実施した。これはBちゃんという個人とお茶の水大学の留学生担当のWさんとのつながりだった。Wさんはその会の時にミカンを1箱持ってきてくれて、こういう交流を本当に有難うございますという挨拶もしてくれた。しかし組織は担当者が変わる。担当者が変わるとまた説明は一からやり直しである。それは、組織にとっては、ヒッポとのつながりは必須なものではなく、付録的なものだからだ。必須な仕事であれば、ひきつぎもそれなりに行われることも多いであろうが、付録的なものはひきつがれない。また、そのことを継続するのは仕事が増えることになる。必須の仕事の量だけでもそれなりにあるのに、付録的な仕事まで引き受ける担当者というのはそう多いものではない。引っ越したこともあり、そんなこんなで、お茶の水大学との交流は今は途切れている。
そういうことを考えるとき、淑徳日本語学校とのつながり、交流の継続は奇跡的ともいえると思う。淑徳日本語学校との交流の始まりはこの地域のフェローであったAちゃん。それをBちゃんが引き継いできた。交流の継続は、その交流が組織にとって必須のものであれば担当者が交代しても引き継ぎもなされ継続しやすいであろうが、必須でない場合、担当者しだいですぐに止まってしまう。現在の淑徳日本語学校との交流の継続はH先生の存在がとても大きい。交流の価値を、その大事さを、留学生と普通の日本人家庭との出会いの貴重さを、心から思っていないと、とても継続できるものではないだろう。留学生と日本人家庭とのつながり、草の根交流は本当に大切だと思う。世界平和の根本だとも思う。
数年前、反日感情がとても高まった韓国のある高校から来日しヒッポとの交流会が持たれた。これは、Kとのつながりで10年近くも定期的に続いている。韓国から出国するとき、こんな時期に日本に行くな、とかなり強い要請があったらしい。例年なら、携帯で写真を撮り、SNSへのアップも普通に行っていたが、その時は、反日感情も強い中なので、絶対にSNSへの拡散はしないように、絶対に具体的な高校名は言わないように、ということを強く言われたうえでの交流会となった。交流会そのものは例年と同じく、歌ったり踊ったり、あっち向いてホイをやったり、けん玉をやったり、楽しいたわいもない話をしたりであった。引率の先生は、こういう時だからこそ、このような民間の交流はとても大切だ、と話していたが、全くの同感である。
交流の継続は、組織と組織とはいっても、具体的にはその中のある個人が働かないと継続できない。いろいろな個人の継続的なつながり、その連続によって、交流が継続しているのである。
◎ ○○人ではなく、△△さん
残念ながら、近隣諸国に反日感情を持った人々がいる。(そうではなく、親日感情を持った人もいるが。) 日本国内にも、反中感情や反韓感情を持った人がいる。○○人は~~だ!みたいな決めつけをする、ヘイトスピーチをする人がいる。本当に残念で悲しいことだ。いろんな国の具体的な個人との交流は「○○人は~~だ」というような偏見をなくす。それは○○の国に住む△△さんだから。どんな国にもいろんな性格の人がいる。ただそれだけのこと。日本人にもいろんな性格の人がいるのと同じこと。どんな国にも、自分たちと同じ人間の暮らしがある。国の体制とか政策とかとその国に住む個人の性格とを直接に結びつけて考えるのは偏見である。具体的な△△さんと個人的につながることは、何より大切なことだと思う。世界平和の第一歩だと思う。
◎ 交流と政治とか国の動きとか
孫が韓国交流に行ったときのこと。この韓国との交流プログラムも長年にわたる一つ一つのいろいろな人の努力の積み重ねの結果である。
孫はチンジュというところの家庭にホームステイした。この場所は、豊臣秀吉が朝鮮に攻め入ったところで、激戦が繰り広げられた場所でもある。この場所で、また日韓関係が厳しくなっていた時期に、見ず知らずの日本人の小学生をホームステイで受け入れてくれる家庭を探すというのはかなり大変だったらしい。
孫のホストの中学生の男の子が、はじめ日本人の子が来るのが怖かった、といったとき、その父が、同じ人間なんだよ、と話したということを聞いた。その言葉に涙が出る。孫を暖かく受け入れてくれ、家族のように接してくれたホスト家族には本当に感謝しかない。
戦後、満州などからの引き上げに際し、ロシア兵から、「朝鮮人か、日本人か」と問われ、日本人と分かると殺されるという恐怖から言葉を発せないでいるとき、近くの朝鮮人が、「この子は朝鮮人だ」といい、その後、食事などを与えてくれ、その子は最終的に日本に戻り、家族を持ち、時が流れ、その孫が、ジャーナリストとなり、もしそのときの朝鮮人がいなかったら、今自分はここに存在していない、というようなことを書いた文を読んだことがある。大陸で本当にひどいことをした日本人も多いが、一方、そうでもない日本人ももちろんいただろう。戦後、日本人を殺した大陸の人もいただろうし、またこのように日本人を助けた人もいた。
今はロシア交流であるが、ヒッポはソ連の時代から交流している。ソ連に交流に行って、帰ってくるときはロシアだったということもあった。
インドネシアでの政情不安の時があった。タイでも大規模なデモが起きたりもした。タイでは軍事クーデターが度々起こっている。現在ロシアはウクライナと戦争状態にある。ミャンマーにはクーデターが起きた。
コロナ禍で「普通」の「リアル」の交流が中止になった。YL生は、現地で学校に通学できない事態があっちこっちで起こった。
交流が普通にできるというのは、実は全然普通ではなく、とても貴重で得難いことなのだと思う。政治的な安定性、治安、伝染病がない、などいろいろな条件がそろって、初めて、「普通」の交流ができる。
香港の結婚式に行った当時、現在の香港は想像できなかった。その後の雨傘運動、中国の一国二制度の中身の大きな変更。さらには、中国のウイグル問題の国際社会での認知。
Pちゃん家族はそれなりの地位と財産を香港や中国に持っていた。しかし、今はカナダに移住している。
今まで、香港、シンガポール、上海と結婚式に参加した。皆中国人か華僑である。皆人情に厚く、礼儀正しく、明るく、素敵な人々である。今まで本当に多くの中国人や華僑の人々とつながってきた。香港のこととか、ウイグルのこととか、中国という国が抱える問題があることは確かだと思う。(もちろん、同様に、日本という国が抱える問題も大きいと思う。)
世界中の人が、その人権を尊重され、平和に暮らしていける世の中になってほしいと心から願う。
「普通」の交流が世界中の国々と、いつでも「普通」にできる世界になってほしいと思う。
○○人ではなく、△△さんとの交流が、人と人との交流が、本当に大切だと思う。
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