2001/2/7記
2000年11月30日から12月4日まで香港に行って来ました。PちゃんとRの結婚式に出るためです。
まず、人物紹介。
Pちゃん(Q):(日本では、みんなPちゃんと呼ぶが、香港ではみんなQと呼ぶ。)日本に日本語を勉強しに来ている時に、我が家に1泊ホームステイしたのがきっかけで、仲良くなる。母の料理教室にも定期的に通っていた。ヒッポにも我が家の家族会員として、ずっとみんなと一緒に活動したよね。小学校の国際理解授業でも、大活躍。Pちゃんが日本にいる間にも何回か、RはPちゃんに会いに来る。そこで、Rとも知り合う。
R:Pちゃんの彼氏。仕事の関係で、アメリカや日本や、いろんな所に出張する。日本に来ると必ず、Pちゃんに会う。Pちゃんが日本にいる間、日本への出張回数が増えたかも?RとPちゃんのささやかな婚約パーティーが、2000年の夏に我が家で行われた。
結婚式1日目(2000年12月2日)
朝、Rの男の友人達が5.6人Rの家に集まる。Qは、Qの父の家に昨日から泊まっている。朝、Rは友人達と何かいろいろ相談している。Qを迎えに行くときの言葉を紙に書いている。Best man(花婿付添人)のXも来ている。Xは今アメリカに住んでいて、アメリカでYと結婚式を挙げたが、香港式でやったそうだ。その時のBest manはRがやったそうだ。お互いにBest manをするほどの親友ということがわかる。(Best manに対し、花嫁付添人はBrides’maidだそうだ。先日NHKの教育テレビで、アメリカのドラマをやっているとき、ふっとこの言葉が耳に飛びこんできて、それがわかって、うれしかった。)
車に分乗してPちゃんの家へ。車は前日デコレーションしたランドクルーザー、その他の車にも、ドアミラーの所とか、ドアノブの所などにリボンなどを付けてデコレーションしている。Pちゃんの家の前、といっても大きなマンション群の入り口に到着。BちゃんとAはすぐにQの所へ。僕は、R達と一緒にいる。まだ、全員が揃っているわけではなく(あるいは、準備がすべて揃っているわけでなく)、しばらく、そこで待つ。朝、Rから、今日はキホーテは、兄弟で、といわれる。その意味はあとで分かる。
車が着いたところにはすでにカメラマンが来ている。デコレーションしたランドクルーザーと供に記念写真。まずRだけで、バチバチバチ。次にRは友達達の一人一人と供に車の前でバチバチバチ。さらにみんなで、バチバチバPったい何枚写真を撮るんだろうという勢いでシャッターが切られる。いよいよ準備も調い、Qの家へ、と思ったら、その前に、「さあ、いざ出陣!」という感じのポーズをとり、さらに記念写真。
Qの家へ。エレベーターを降り、扉の前に。まずそこで、まだ入るな、イヤ、入れろ、みたいな会話がある。いよいよ中へ。ところがリビングの所にモールがしてあり、ここから先は立入禁止みたいになっている。そこからいよいよ、メインイベントである。おおざっぱに言えば、新婦となるQにふさわしいかどうか、それなりの男かどうかを女友達が見定めるのである。無理難題を新郎となるRに出し、それをRが見事のこなして初めて、Qが奥からしずしずとでてくるのである。残念ながら、言葉はほとんど分からない。が、それでも、どういうことがおこなわれて、どういう会話がおこなわれているかは分かるし、十分面白い。
まず、Rは女友達たちひとりひとりに祝儀袋みたいなものを渡す。あいさつ代わりにすこしお金を渡すのだそうだ。つぎに、Q側の女友達はRに何かを飲めという。小さなお猪口みたいなカップに何かが入っている。女友達はワーワー言うし、R達もワーワー言い合っている。初めはコーヒーか何かかと思っていたが、Rの顔を見ていて、どうも違うと分かる。それを何とか飲み終わると、次にまた何かを飲めという。またお互いにワーワー言いあっている。何とかRが飲み終わると、また何か別の飲み物が出てきた。こうして何種類かのスペシャルドリンクを飲み終わると、次の課題にはいる。ともかくにぎやかで、面白い。次に出てきたのはマシュマロだ。でもただのマシュマロではない。マシュマロの中がくりぬいてあり、その中にたっぷりのわさびが入っている。十数個もあっただろうか。それを男友達みんなで食べる。さすがに効く。次はわさびを歯磨き粉代わりにしての歯磨き。その次は、筋肉の描かれたTシャツを着て、腕立て伏せをしながら、コップにいっぱい入ったスプライトを飲む。これはQを守るために力持ちじゃなきゃ駄目と言うことかもしれない。その後、RACHELのRは何のRか、Aは何のAか、とか言う言葉遊び。残念ながら、何と言っていたか忘れてしまったが。
ここまで終わり、やっとで、部屋の中にいるQに愛の言葉(結婚への決意かもしれないが)をかけることを許される。朝、友達たちと相談しながら紙に書いていたやつだ。それを朗々と読み上げる。それに対して、今度は女友達たちが用意した紙をRが読むことになる。がなかなかすらすらとは読まない。語尾を変えたり、勝手に言い換えたりしながら読むものだから、女友達たちから、違う違うという声が出て、何度も何度も読み直す。回りからは、「ファイティン、ファイティン」(はやくしろーーー)の声がかかる。が、なかなか読み進まない。どうも結婚してからの誓いのようだ。掃除は毎日するとか、洗い物はちゃんとするとか、まあそんな感じのこともいろいろ書いてあったらしい。(あとで、Xたちに聞いた。)なかなかRが読まないものだから、女友達の一人が紙を取り上げ、「私のあとについて言うように」となるが、それでも語尾を変えたりして、なかなか素直には先に進まない。でも、最終的には、すべてを読み上げ、ついにOKとなる。Rは男友達たち(兄弟たち)にお礼の意味を込めて祝儀袋みたいなもの(真っ赤な小さなお年玉袋みたいなもの)を渡す。その袋の隅には、「兄弟」と書いてあった。ところで、この間じゅうずっとカメラマンはシャッターを切り続けている。あっちに行ったり、こっちに行ったりしながら。
いよいよ、Qの登場だ。奥の部屋から、父親に手を引かれ、伝統的な真っ赤なチャイナドレスに身を包んだQが静かに進み出てくる。僕はずっとRの側にいたから(つまり兄弟と言うことで)、よく分からなかったが、Bちゃんの話によると、(BちゃんはQの側にいた)、Rが汗をかきかき(本当に汗だくだった)、いろいろな無理難題に対決している間、Qはしらーっとしながら、ずっと化粧をしたり衣装を着たりして準備していたそうだ。その対比がまたとっても面白かったと言っている。新婦が登場してからは、いかにも伝統的な雰囲気に取って代わる。新郎新婦が揃って親・親の親(自分の直接の先祖というのかなあ?言い表現が見つからないけれども)の前にひざまずき、三三九度のような感じで、お茶を飲む。中国古来の儀式なのだろう。ずーっとカメラマンはシャッターを切り続ける。そして、また、記念写真。
そのあと、皆で車に分乗し、Rの両親の家へ。そこで、QとRが揃って、親と親の親へのあいさつ。先ほどと同様にひざまずきお茶を飲む。僕達はその間、屋上に行く。そこには、大皿の料理が用意されていた。そこで、バイキング形式で昼食。この料理は、Rの妹やおばさんたちが朝から作ったものだそうだ。
それほど食事をゆっくりするわけでもなく、皆で車に乗り、結婚式場の教会へ。と思ったら、途中の公園で止まる。そこで、写真撮影。いろいろなポーズをとり、また、いろいろな人と供に、本当にたくさんの写真を撮る。(ちなみにアメリカで、香港式の結婚式を1日でしたXとYの場合1000枚の写真があるといっていた。)
公園での写真撮影大会のあと、いよいよ結婚式場の教会へ移動。式場で、DさんとCさん(Dさんの友達で、Pちゃんの友達)に会う。Bちゃんは着物に着替える。Aはさすがに疲れもあり、着物ではなくドレス。式場の受付のところにRとQの大きな額に入った写真。
K(Rの妹)の恋人のJが司会。そして歌。Kがマイクを持って歌う。聖歌隊みたいな人達もいるが、衣装も普段着っぽく、歌もそれほどにはうまくないような感じがする。Kは歌もうまく、また、歌の合間に何かいろいろ話すのだが、内容まではよく分からないが、その場の雰囲気を和ませ、なおかつテキパキと、ハキハキと、進行させていることはよくわかる。その後神父さんが二人に誓いをさせる。そして歌。今度はRがマイクを持って歌う。このことはQには内緒だったみたいで、Qはかなりビックリし、なおかつ感動し、泣いていた。Rがまたそこで、いろいろ式に来てくれている人達に対して話をする。Qも話す。Qは、さらに日本語で僕達に対しても話す。全体としてそんなに厳粛な雰囲気ではない。新郎新婦の親は全く話さない。日本はまだやはり、家と家という感じが強く残っているせいもあり、このような場では新郎新婦よりもその親が話すような気がするが。ともかく新郎新婦が表に出て、メインとなっていて、
よく話す。受付でもらったチョコがAは気に入ったらしく、よく食べる。Aの分、僕の分、Bちゃんの分。さらにAに可愛いと言ってくれ、ついでにチョコを渡してくれる人も何人かいた。僕もBちゃんも1個も食べず。すべてAのおなかの中に消えていった。その後、例によって、写真。あとで気がついたことだが、受付でもらった式次第のようなもののは、式次第、歌う歌の歌詞などが書いてあるのだが、その終わりの方のかなりのスペースを割いて書かれているのは、写真を撮る順番なのだ。まず、新郎・新婦、続いて、新郎の家族と供に、次には、新婦の家族と・・・・・みたいに、ずーっと最後まで写真を撮る順番が書いてあるのだ。そしてやっとで、この日の結婚式の行事が終わることになる。
でも、このあと、RやQは、せっかく集まったいろいろな親戚たちとの食事などもあったようだ。
結婚式一日目の結婚式後
僕達家族と、Dさん、Cさんは、XとY夫妻と供に、移動。教会のあるのは香港島なので、教会から少し歩いて船着き場へ。Aは船に乗れるので、大喜び。香港島からカオルン(九龍)側まで、ほんのちょっとの船旅(10分くらいかなあ)。カオルンの市内を歩いて、食事をする店に行く。ホウトンチェ、ホウトンヤッ、である。本当に車も人も多い。道を歩いているとき、昨日行った写真スタジオを見つける。昨日来たのはこの辺だったんだと分かる。カオルン(九龍)市内で食事。豚の耳やアヒルの舌、ロブスター、など、いろいろ食べる。みんなおいしい。ホーメイ、ホーメイである。食後、Dさんたちの泊まっている九龍ホテルに行きRが迎えに来るのを待つ。迎えに来たRに、Dさんたちは結婚祝いやおみやげ、日本の友人から託されたおみやげなどを渡す。Xたちは親戚の家に。Rの車にはQの父も乗っていた。Qの父を家に送り、Rの家に。誰も帰っていない。Qはドレスを買いに行ったらしい。また、Kはおばさんたちと食事。おばさんは何人と聞くと、たくさんで数え切れないという。確かに、お昼ご飯を食べたとき、本当にたくさんの「おばさん」に出会った。まもなくKもQも帰る。次の日、写真屋に我々だけで行くから大丈夫と話す。そして、バスや地下鉄のプリペイドカードを借りたり結婚式場への経路などを聞き、その日はシャワーを浴び、寝る。僕達でさえ疲れたのに、RやQの疲れはいかばかりだろうかと思う。朝からずっと動いて、さらに夜に僕達をカオルンのホテルまで迎えに来たりして。本当に大変だろうなあと思う。本当にありがとう。
結婚式二日目(披露宴)(12月3日)
夕方5時10分くらい前に会場に着く。とても立派なビルの中に会場がある。新郎新婦の控え室や、親族の控え室、がある。Qから、遅れても全くかまわないとは言われていたが、本当にそういう感じだ。客はほとんどいない。Bちゃん、A、着物に着替える。その間、ロビーでギターの練習。そこへ、DさんとCさんが通りかかった。呼び止めて、幸せなら手を叩こうにコードをつけ終わったところなので、それを弾き、こんなんでいいかということを確認し、ちょっと練習。そして会場へ。ぼちぼちと人が集まってくる。Aの着物はとても人気で、来る人来る人がAと写真を撮りたがる。A、少しずつ不機嫌になるが、エライ、ちゃんと写真に収まる。ヴェニス(12月中旬に仙台に来た)がAにタレパンダのぬいぐるみをプレゼント。これは昨日、Rの両親の家でパンダのぬいぐるみがあり、それをAが気に入ってなかなか離さず大変だったのを見ていてのこと。ありがたい。KとJはAに熊のぬいぐるみをプレゼント。これもAは気に入っていた。いろんな人がいろんなところで僕達に気を遣ってくれる。本当にありがとう。
人はまだまだ全員は集まってない。本当にぼちぼちとやってくる。会場は、もちろんつながってはいるのだが、大きく2カ所に別れている。ひとつは、ゆっくり話したり、軽く飲んだり、その隅にはカラオケがあったり、中央付近には大きなケーキがあったり、というスペース。適当に椅子やテーブルがあり、人々はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、写真を撮ったり、ゆったりとした時間を過ごしている。Aちゃんもたくさんの人たちの被写体となっている。もう一つのスペースにもテーブル、椅子がある。テーブルの上にはライトがついていて、明るく照らしている。そしてそこには、麻雀パイがおかれている。日本のものよりも2回りくらい大きいパイだ。紳士淑女たちが麻雀を楽しんでいる。幼稚園児くらいの子どもたちとその親が一つのテーブルに着いている。子どもたちが、麻雀パイをあっちこっちへ滑らせながら遊んでいる。
後半、Aは着物を着ていることにも疲れ、また昼寝をしてないこともあり、新婦の控え室に行き、ドレスに着替えさせ、その片隅で寝かせようとするが寝ない。Aを抱いて、ロビーなどをゆっくり歩くうちにAは寝る。
8時40分くらいに食事会場へ。先ほどまでの会場の上の階である。ここは座席も指定されている。Aはぐっすり寝ている。結局、Aはこの後ずっと寝ていた。
RとQ登場。司会者はあの映画俳優のジャッキー・チェンと同姓同名のジャッキー・チェン。そしてスライド上映。スライドといっても、コンピュータに画像を取り込んだ上で、それを出力する形でやっていた。RとQがいろいろ話す。いわゆる来賓の祝辞も友人代表のスピーチも、親の挨拶も何もない。食事は豪勢だった。フカヒレスープなどもあった。食事が一段落したところで、司会者が僕達を呼ぶ。僕達の歌と挨拶だ。
実は日本にいるうちから、ちょっとギターを練習し、そうだ、RとQに歌ってあげようと言うことになり、二人のために、ちょっと歌を、メールでと打った。たくさんの人の前では無理だが、二人の前なら、ということで。ところがその返事のメールには、披露宴でよろしくとなっていた。えっ、と思ったが、まあ、しょうがない、いまさらできないとも言えないし。で、いろいろやり取りしているうちに、披露宴の前にカラオケをしたり、麻雀をしたり、という時間があるから、ではその時に、ということになっていた。が、さらにその後、食事の後にゲームをしたりする時があるので、その前に、ということになったのだ。この時点で、まだまだ僕達は気軽に考えていた。ところが、食事のその豪華な料理を見ていると、カラオケの前にちょっとやる、という雰囲気とは大いに違うことが分かってきた。
Bちゃんは、食事中、挨拶をどうしたらいいかとか、その文面を急遽考えることになり、食事どころではなかったようだ。で、ついにその時が来たのだ。
簡単な司会者からの紹介。Bちゃんがマイクを持つ。レイホー。この一言で会場がどよめく。オーギューシーロップユーチンチャン。またまたどよめく。ホウコウヘンギノーレイ。もう、どよめきっぱなし。チョージーギンミン。トウトウチーガウ。(こんにちは。○○△△(名前)です。お会いできて嬉しいです。初めまして。どうぞよろしく。)拍手拍手。ニーハオ。また新たなどよめき。ウォーシーシャオリーウェンチンコン。チョーツーツェンメン。(こんにちは。○○△△(名前)です。初めまして。)まあ、こんな感じで挨拶をした。拍手大喝采。
で、何でそんなにどよめいたかというと、後でQから聞いたところでは、その発音が素晴らしかったからだそうだ。僕達は文字からではなく、音だけを頼りにやってる。広東語を話す人はいても、ちゃんと勉強というか、文字からやった人は、やはりそれなりの発音に
なってしまうのだろう。Bちゃんがまるで香港人みたいに言ったことに対してとてもビックリしたのだそうだ。ところで、広東語でどよめく人達と、中国語でどよめく人たちは少し違う。結婚式には、香港の人だけではなく、台湾や、中国本土からも招待客が来ていた。香港の人達は広東語にどよめき、台湾や中国本土の人達は、中国語にどよめく、といった感じかなあと思っている。
その後僕がマイクを持って簡単に自己紹介。次にBちゃんが英語でスピーチ。Pちゃんとの出会い、日本での生活、ヒッポのこと、Rが日本に来て我が家で婚約パーティをしたことなど。すごく受けていた。次にいよいよ歌。ダイアナ・ロスの「If We Hold on Together」を僕のギターの伴奏、Bちゃんの歌でやる。が、ギターの音をうまくマイクが拾わず、聞こえない。で、もう一度マイクに近づいてやるが、やはりあまり聞こえない。焦り、さらにギターを間違う。もう、大失敗。これは今でも悔しい。練習で、あれほどひどく間違ったことは一度もなかったのに。本当に悔しい。でも、RやPちゃんが助けてくれ、一緒に歌ってくれた。その後、DさんやCさん、同じテーブルの日本人の人達と一緒に「幸せなら手を叩こう」。これはBちゃんがうまく会場に説明したこともあり、みんな結構やってくれ、大成功。何ヶ月も練習したのは大失敗で、会場についてから、ちょっとだけやったのが成功。まあ、そんなもんか。歌の後、結婚おめでとう、お幸せにみたいなことを付け焼き刃で覚えていた言葉をみんなでせーので言う。「PAK TAU TOU NOU. WENG GI TON SON」これも、耳から覚えたので、会場から、おおーというのが伝わってくる。終わって本当にほっとする。
その後、ゲームがあると聞いていたのに、どうやらそれはない。ということは、その披露宴で新郎新婦以外に何かやったのは僕達だけ?!もう、びっくり。メインになっちゃった!冷や汗ものである。その後デザートなどがでて、食事が済む。そのあと、何となく三々五々、帰っていく。11:30ころか。僕達は最後までいたのだが、12:30頃までは会場にいた。僕達はデコレーションした車で、Jの運転で、K、Rの両親とともに家へ。RとQはロールスロイスで、もっとも高級なペニンシラホテルへ。で、そのホテルのすぐ裏がDさんたちの泊まっているカオルンホテル。で、DさんとCさんもそのロールスロイスに乗せてもらう。Dさんたちはロールスロイスでカオルンホテルに乗り付けたそうだ。次の日の朝、ボーイたちの扱いが前の日と変わったそうだ。さすが、ロールスロイスの力。
僕達は家に戻り、シャワーを浴び、帰りの荷造りをしてから寝た。2時半頃か。疲れた。でもそれ以上にRやQは疲れているのだろう。
結婚式以外のこと
2000年11月30日
僕は、授業を午前中3時間やって、急いで家に帰って荷物を持って、皆で家を出発。3人分の荷物プラス、おみやげの入ったトランクは本当に重い。池袋発13時5分の成田エクスプレスに乗り、成田へ。3人ともウキウキしている。14時26分到着。急いでカウンターに行き、重い重いトランクを預け、おみやげを少し買う。出国の手続きは、午後のせいかとてもスムーズ。17時40分成田発。Aはちょっと怖い感じがするとは言っていたが、すぐに嬉しくなって、はしゃぐ。ちょっと興奮気味。ちょうど窓際だったこともあり、Aも窓からのきれいな夜景を楽しむ。おなかぺこぺこの状態で、ワインを頼んだら、すぐに酔っぱらう。その後食事。Aもよく食べる。ヒッポのテープを聴く。テキストの日本語を見ながら。(韓国語なんかの、日本語の書いてあるテキストを持っていった。)今、どこの話しているか、何を話しているのか、日本語を見ながらでさえも分からない。見当もつかない。それが面白い。香港到着。Aはしばらく寝ていて、降りる直前少しぐずるが、とてもよい子だった。降りるとそこはすべて広東語。空港内のシャトル電車みたいのものに乗る。誰かが、「ナンチュウ・・・・・・・」というのが耳に飛び込んでくる。「ナンチュウ・・・・・」て、テープにある!!!と分かるが、意味は全然分からない。日本時間の23時30分頃、現地時間だと、22時30分頃、RとQに会う。待っていてくれた。Rたちは、ここ1週間のあいだに、カナダからの弟家族や、台湾からの祖母、など親戚や友達を迎えに4階も空港に行くことになるという。決して家から近い距離ではないのに、本当に大変だ。
車は、ボンゴフレンディ。我が家と同じだ。ただ、きれいさは違う。我が家は子ども3人がフルに汚してくれるのに対し、車好きのRが常にきれいに掃除し、ピカピカに磨いている車。うーーん、違う。車から香港の街を眺めると、山と海の街。その間に、高速道路が走り、超高層ビルが並ぶ。
家につき、Rの妹のKに会う。いろいろおみやげを渡す。
結婚式前にとる二人の結婚のアルバムを見る。日本では、こんなのは本当にない。まるで一流スターのブロマイド写真だ。二人で見つめ合ったり、足を投げ出したり、見返り美人のようなポーズをとったり、あふれんばかりの笑顔や、きざっぽくしたりとか・・・・。日本のきちんと並んで、正面を向いて、みたいな堅苦しい写真は1枚もない。それが立派なアルバムとなっているのだ。また、大きな額にもなっている。これが、結婚式の時に受付などに飾られるわけだ。1回目の写真はいまいち気に入らず、別の写真スタジオで取り直したそうだ。2回で日本円で、14万くらいかかったとか。でも、この写真に、30万くらいかけるのは、普通なのだそうだ。14万というのは、とても安く済ませたのだそうだ。友達の中には、何と100万くらい(日本円での話)かけた人もいるらしい。さすがに、クレージーとは言っていたが。
クレイジーといえば、Rの車好きは、X曰く、クレイジー。Xが日本に来たとき、トヨタのアムラックスに行くかどうか聞いたとき、行くと答えたので、では、Rと同じように車が好きなのかと聞いたとき、いや、違う、私は車は好きだが、ただ、好きなだけ、Rはクレイジーといっていた。そのRへのおみやげは、リクエストがあって、車のカタログ。トヨタのセルシオ、ランドクルーザー、ソアラー、アリスト、MR-S、アルテッツァ、シィグナス、ハリアー、など、ついでに、日産や本田などのカタログもあげた。さらにTRD(トヨタのレースのチームかなんか)の帽子とカレンダー、車型の写真立て、そしてこれもリクエストのあった、ランドクルーザーのミニカー。Rはホントにどれも気に入ってくれ、この結婚式前の忙しく、なおかつ疲れている中、時間を見つけては、いや、時間を無理矢理作っても、カタログを見ていた。部屋の中には、いろいろなミニカーもすでに飾ってあり、また車のおもちゃも飾ってあった。
明日はどうしようという話をしたりしてから、シャワーを浴び、寝る。
12月1日
朝はゆっくりする。ソノコのテキストの日本語を見ながら、テープを聴く。Qたちも疲れているのだろう、全然起きてこない。昨日、おみやげに渡した白玉粉を使い、親子3人で勝手に白玉団子を作る。お湯を沸かし、どんどん作る。きな粉もおみやげに渡してある。あとは砂糖だけだ。が見あたらない。そうこうしているうちに、Rが起きてきて、さらにQも起きてくる。Qに砂糖は、と聞くとない、という。確かに台所も、家全体の大きさからすればとても小さいし、また、日常的に料理をしている雰囲気もない。でも、砂糖がないなんて、と思っていると、いやいやあるかもしれないとQが探しだしてくれた。で、この日の朝ご飯は、きな粉の白玉団子。おいしいと言ってみんなで食べた。あとから分かったことなのだが、この家では、日常的に、料理はやはりしないのだそうだ。食事は、すぐそばに住むRの親のところに食べに行くのだそうだ。文化的にそうなのか、我が家に結婚式後まもなくステイした、XとYも同様のことを言っていた。うーーん、やはり日本とは違う。
さあて、今日はどこに行こうという話。実は、前日、Rたちの写真を見たとき、若いときにこんなのを撮るのはいいねえ、という話をしていた。その後、部屋に行ってから、今日より若いときはないんだから、どうせここまで来たんだから、せっかくだから、写真を撮っていこうか、という事を二人で話していた。それで、Rたちから、今日はどうする、と聞かれたとき、実は、ああいう写真を撮ってみたい、という。それから、RとQがいろいろ電話をしたりしてくれた。時間的に何とかなるのは、今日と12月3日の日曜の午前中だけ。今日はいきなりだから、予約を取るのは日曜日かな、と話していたら、いやいや日曜日はずっと前から予約がいっぱいで、とても無理、もし撮るなら今日しかないということになった。香港には写真スタジオが本当にいっぱいある。そのことが分かってから街を見ていると、確かにスタジオがたくさんだとよく分かるが、そのことを知らずに街を歩いてもなかなか気がつかないかもしれない。メインの通りに、そこにもここにもあそこにも、そこら中に写真スタジオがある。Qが電話して、Qたちが2回目に写真を撮ったスタジオが、今日の夕方なら何とかなると言うことになった。何度も何度もいろいろ電話してくれた。そして、最終的には、日曜日の午前中には写真を選べるという交渉までしてくれた。写真を撮って2日後だ。普通はとても無理な注文なのだろうが、これもQたちのおかげだ。貸し衣装もメイクもお願いして、さらにこちらから持っていった衣装も着てもいいかとか、本当にいろいろ交渉してくれた。6時半から写真を撮るが、その前の4時くらいに写真屋に行き、衣装を選んだり、メイクをしたりということに決まる。ビクトリアピーク(山頂)に行く。もっとも夜景のきれいなところとして世界的に知られている観光名所だ。以前Dさんたちが来たときもここに連れてきたと言っていた。そこでおみやげにとお菓子も買った。Dさんたちもここでお菓子を買ったと言っていた。昼は、ここで、麺を食べた。いろんな種類があった。タイ風のもあった。その後、結婚式用の、いろいろなものを取りにあっちこっちと寄りながら、スタジオへ。まず、借りるドレスを決める。純白という年でもないし、ということで、紫のドレスにする。いろんな事が決まると、RとQはそれぞれの用事のために外に出る。Qは実家に、Rはドレスを取りにいったりしたようだ。僕達はここであと何時間か過ごすわけだから、Rたちは、その間、時間が自由になるわけだ。結婚式前だし、忙しいだろう。
写真は、まず、着物から。メイクの関係で和服が先なのだそうだ。Aはとても調子もよく、着替え、機嫌もいい。Bちゃんのメーク。その間、Aと僕は、来るときの飛行機でもらった、塗り絵をする。結構これはこれでAは楽しんだのだが、でも、さすがにBちゃんのメークの間ずっとというのは飽きる。Bちゃんの準備も調い、さあ、写真をという時になった。撮影する部屋の中にはいる。写真のスタジオだからいろいろな機材もあるし、やや薄暗いし、撮影する場所だけは明るいし、みんなは注目するし、・・・。Aの表情は硬い。固まっている。おまけにカメラマンは広東語しか話さない。僕達とのコミュニケーションも大変だ。Aはそのすべてを見て理解する。Bちゃんがメイクの人を呼びに行く。その人は英語ができるからだ。が、これがいけなかった。Aは一言、「母さんは?」と言い泣き出す。いくら「すぐ戻る」と言っても、Aにとって、すでに、泣くのに十分すぎるほどの環境は整っていた。何とかなだめて、と思うが、うまくいかない。で、Aの写真はあきらめて、Bちゃんを写真を取る。その後、二人の写真を撮ることになるのだが、Aは泣いたまま。Aが僕達二人の足にしがみついて泣き叫んでいる間、カメラマンは、僕達の上半身だけを取る。僕達は上半身は、何事もないかのように、すましたり、笑ったりしながら。Aの分はBちゃんが着替えてからまた撮ろうということになる。A、スタジオの外にでるが、最悪の状態。泣き叫ぶ。お絵かきをしていたテーブルの上のものを投げ飛ばし、渡されたぬいぐるみを投げ飛ばし、僕を叩き、ちょうど一段落し戻って来たRを叩き、もう、ひどい。一通り、暴れたあと、では知らないと言い、Aから離れると、やっとで少し話すことができるようになる。で、まず、普通の服に着替える。でも、母さんの準備ができたら、ドレスに着替えることを約束する。Bちゃんの準備ができたところで、再びスタジオ内へ。Aの着替えのストッキングとドレスを持って。Aはこの時点では普通の服。そこで、Bちゃんの写真を取り始めてから、Aは、ちゃんと着替える。写真もきちんと撮る。自分の中でも、先ほどはうまくいかなくてイヤな気持もあったのだろう。きちんとすることで、A自身も、達成感があるのかもしれない。一人でもちゃんと写真を撮る。表情はやや硬いが。でも、すごいことだ。
8時半くらいに終わり、その後、Rとすぐそばで食事。香港式の食事でいいかと聞かれ、もちろんと答える。注文してから、来るまでも早い。おいしい。とてもおいしい。牡蠣(かき)の雑炊、キャベツと胃の肉のスープ、グースの肉と豆腐とピーナッツの料理、野菜(チンゲンサイみたいな感じ)のごま油炒め。焼いた魚。ごはん。ビール。本当においしい。中国の庶民の、でも、とても豊かな食事に出会えた。こうゆう料理をふんだん出す店がたくさんあるのは、うらやましい。
その後、おみやげを少し見てからかえる。帰り、Aはもう、ぐっすり寝ている。
家に着いてから、車のデコレーションをする。11時過ぎくらいの時間だったと思う。結婚式の時に使う車は、一般的には、ベンツだったり、BMWだったりするそうだ。Rは、父親と同じマンションに暮らしている。父親と共有の形で、ランドクルーザーとセルシオとボンゴフレンディを持っている。一般的な形なら、セルシオを使うだろう。でも、そこは車に関してはクレイジーなR、ランドクルーザーだ。まず、車をきれいに拭く。ほとんど汚れていないが、それでも結婚式前だから、もう1度、きれいに拭く。ランドクルーザーの後ろの窓に用意したシールを貼る。「Keep Your Distance. She is Mine.」。それから、リースやリボンを車の前や横や後ろや、ドアノブなどにつける。リボンをまず前の方につけ、切って後ろに持っていくと、ちょうどいい長さになった。「アーマムホー」と言うと、Rに受ける。これは、Pちゃんが、日本でアパートを借りたとき、我が家で使ってなかったベッドやテレビを貸していた。そこで、アパートにテレビやベッドを置いたところ、本当にちょうどギリギリで入って、ぴったりだったときに思わずPちゃんがいった言葉だ。「アーマムホー、ホチョギヤー、ワー、オシダ、マーロイカマー」とヒッポのテープにある、あの、アーマムホーだ。
車のデコレーションが終わり、家に戻ると、Qが戻ってきていた。この時点で、もうかなり遅い時間だったと思う。12時はとうに過ぎていたと思う。Qは、明日着る赤いドレスなどを持っていた。いろいろと準備をしていた。でも、今日は、結婚式の前の日で、実家に帰っているはずの日である。なんと、準備が終わってから、RはQと荷物を車で、実家まで送っていくそうだ。まさに、寝る間のないくらいに忙しい。
(12月2日および3日の後半は結婚式および、披露宴)
12月3日 結婚のパーティまでのこと
今日は、結婚披露宴のパーティーが夕方からある。それまでに、家族3人で撮った写真を選ぶためにスタジオに行く。そのあとはパーティまで、少しの間、香港の街を歩こうと思う。
朝起きて、着物やギターを会場まで持っていってくれるように頼み、バス停まで連れて行ってもらう。始発のバスターミナルまで、連れて行ってくれる。Rの心遣いが嬉しい。2階建てバスの2階の先頭に乗る。Aともども、家族3人とも初めてなので、喜ぶ。カオルンホテルのそばで降り、スタジオを探す。その途中で、食事。この時間、まだ、閉まっている店も多い。開いている店に行くと、そこはタイ料理店だった。チャーハン、麺、肉とブロッコリーの炒め物を頼む。ボリュームもあるし、おいしい。Bちゃん、トイレに行き、そこでタイの人と会い、挨拶をし、例の如く、アーハンタイ、アーロイマー、アーロイチンチン、ワテワオーペオペオ、とやったらしい。
スタジオで写真選び。18枚を選び、その場でそれ以外の写真を4枚ほど買う。
本屋で、地図と子供向けの本を買い、カオルンホテル623号へ行き、Dさんたちと会う。このとき、Aは寝ていて、ホテルのベッドに置くとともに起きる。まあ、そんなもんか。Dさんたちの部屋でお茶を飲みながらDさんたちといろいろ話す。Dさんたちは着物に着替えてから披露宴会場に行くというので、それぞれ別々に会場に向かうことにする。ホテルのすぐそばに文化中心というのがある。その回りはデートコースで、散歩するのに気持Pよというので、そこに行ってみる。
12月の日曜のせいか、とてもたくさんの結婚式をしている。香港で夏に結婚式をすると暑くて大変なので、このころが多いのかも。文化中心の外ではいたるところで花嫁花婿たちを取り囲んで、写真を撮っている。あっという間に10人ほどの花嫁に会う。いったい何組の人達が、今日ここで結婚式を挙げるのだろうか。そういえば、Pちゃんたちも会場がとれなくて大変と言っていたが、この状況を見ると、とても納得できる。文化中心から、海の上にかかってる散歩道を歩く。たくさんの人がのんびりと釣りをしている。ゆったりと散歩をする人も多い。天気もいい。暑くも寒くもない。なんか、こういう時間がとてもいい。日本にいて、いろいろと時間に追われる日常の中で、香港に来て、こういう時間が持てたことがとても嬉しい。海をみながら、昨日、ここを船でわたったと分かる。
4時頃になり地下鉄へ。Rたちから借りた地下鉄やバスに共通に使えるカードを機械に近づけ、ピッとやり、地下鉄に乗る。一駅乗り、そこで乗り換えて、クォーリーベイへ。駅について太古坊の出口へ。地図をみながら会場へ。会場のビルはとても新しく、またビルが5つくらいつながっているものすごく近代的な感じだが、その回りには、ものすごく古い感じのビルが並んでいる。あまりに対照的だ。
(このあとは結婚式の披露宴)
12月4日
昨日(と言うか、すでに今日になっていたが)寝るのがとても遅かったが、6時半頃には起きて、最後の荷造りをする。7時半頃にKにバス停まで送ってもらう。2階建てバスの2階の先頭にまた乗れる。空港へは9時10分頃に着く。時間がない。急いでいろいろな手続きをし、おみやげをさらに急いで、ホントに急いで買い、63番の搭乗口へ。Dさんたちがいる。それ以外のお客はほとんど誰もいない。搭乗してないので、なぜ、と聞くと、これはニューヨーク行き、どうも遅れてるらしいよ、だから待っているんだ、と言っている。ああ、よかったと思う。でも、それにしては時間的に変だなあと思い、確認する。確かにニューヨーク行きだ。でも、東京経由。まずい、乗らなくては。もう、回りには誰もいない。そうして僕達は機上の人となり、無事日本に帰ってきた。もしあのまま乗り遅れていたら、・・・・笑っちゃうよね。
その次の日、XとYがアメリカへ帰る途中、日本により、我が家にホームステイ。そのすぐ後には、Rの妹のKとそのフィアンセ、Jとそれぞれは母親が来日。XとY、Kたちを、Dさん、Cさんとともにしゃぶしゃぶ料理店に招待。向こうで本当にお世話になったお礼の気持を込めて。こうして、いろいろつながっていくのが嬉しい。
香港雑感
香港は、もちろん中国だが、でもいわゆる中国とも言い切れない。ちょっと前までは、イギリス領だったからだ。Pちゃんも、なんと、パスポートを2つ持っていた。中国のパスポートとイギリスのパスポートだ。どちらも有効だという。名前も、漢字の名前と、イギリス風というか、英語風というか、の名前の両方を持つ。言葉は、基本的に広東語。イギリス領だったから、ほとんどの人が、英語が話せる、と思っていたが、全然違った。英語が全くできない香港の人も実に多い。RやQは全く普通に英語を話す。Rは、長いことアメリカで暮らしていたから当たり前としても、Qやその友達、Rの友達は、なぜ、ああも英語が堪能なんだろう?日本よりも、英語に接する機会が多いことは確かだろうけれども、それでも、本当にみんな英語がうまい。
香港の車にはナンバープレ-トがついている。当たり前だが。でも時には、2種類のナンバープレートがついている。なぜ?一つは、香港のナンバープレート。もう一つは、中国のナンバープレート。中国本土(というか、なんというか。よく分からないが、香港でない元々の中国)へも仕事などで行く人の車には2つのナンバープレートがついている。
そう言えば、夜、車で走っているときに検問があった。一瞬止まっただけで、すぐ通過した。BちゃんやAが乗っていて、つまり、女、子どもが乗っていると、「密入国」(という言葉も変だが)ではないということで、すぐに通過できるのだという。香港から、(元々の)中国へ行くのは簡単だが、(元々の)中国に住んでいる人が香港に入るのは、とてもとても難しいらしい。そこで、「密入国」があるので、それを取り締まる検問があるのだという。同じ国と言っても、とても複雑なんだなあと思う。
香港はもともと土地がたくさんあるわけでもなく、また、山も多く平地も少ない。そこのたくさんの人が住むので、本当に超高層ビルだらけだ。東京なんか、ビルが低く、またとても少なく感じられる。一軒家というのはほとんどなく(ごくたまにバラックみたいなのがある。あるいは、超超超大金持ちがめちゃくちゃスゴイ家を持っていることもある。)香港住民のほとんどは、日本で言うところのマンションに住んでいる。人口密度はとっても高いだろうなあ、と分かる。
道には車があふれている。人もとても多い。カオルン(九龍)のあたりを歩いたが、本当に車も人も多い。道もそんなには広くないし、歩道も狭い。自転車はほとんど見ない。この交通状況で、自転車は危険すぎるし不便だろうと分かる。バスは二階建てバスが普通。日曜の昼の原宿の竹下通りのような人の混雑ぶりが、町全体に広がっている感じ。日本でも池袋の駅前とか、確かにスゴイが、それでも少し歩くと、人と人との間隔をある程度保てる空間を確保できるが、それがいつまで経ってもどこまで行ってもできないのだ。
泊まったところ
RやQの招待で今回香港へ行った。行く前、いろいろなやりとりは、主に、E-mailでおこなった。たまに直接電話もしたが。時差があまりないので、電話もしやすくて、助かった。そんな中で、R達は、自分たちの家に泊まれという。QやRが、我が家に泊まったから、ということもあると思う。でも、結婚式前は、いろいろ大変だし、(現地に行って、その大変さは、日本の比ではないことを、目の当たりにした。)ホテルにでも泊まるよ、といったのだが、聞き入れられず、R達の家に泊まることになった。RとQはすでに一緒に暮らしていて、さらにそこにはRの妹(K)も暮らしている。同じマンションのすぐそばにはRの両親も暮らしている。僕とBちゃんとAは、なんとRとQの部屋に泊まった。8畳から10畳くらいはあるだろうか。リビングから部屋に入ると、その対角線上の先には、洗面台、トイレ、小さなシャワールームまである。部屋と、トイレ・洗面台の間のしきりは一枚ガラスの戸。そのガラスには彫刻が施してある。とは言っても、見える。そう、トイレに入っている姿が丸見えなのだ。また、トイレとシャワールームの間のしきりもガラス。これも文化なのかなあ。日本では必ず、見えないようにするだろうに。部屋の真ん中にどーーんと大きなベッドがおいてある。化粧台などの周りには、RとQのいろいろな写真が飾ってある。我が家でみんなと撮った写真を僕がコンピューターで処理しカレンダーにしたものも飾ってあった。嬉しいね。窓からは、きれいな景色が見える。下を見ると、テニスコートもある。高速道路、鉄道があり、その向こうには入り江が見える。入り江のそばには、高層ビルが並んでいる。夜になると、夜景がきれいだ。こんな立派な部屋に泊まっていいものだろうか。僕達がQ達に提供した部屋は、2畳あるかどうか、窓もまともにない、その窓からは隣の家の壁しか見えない、昼も薄暗い、ベニヤで作ったぺらぺらの壁、そんな部屋なのに。さらに、R達は、僕達に部屋を提供したため、結婚する新郎新婦でありながら、小さな物置のような部屋に泊まっている。何とも、申し訳ない。
0コメント